葵祭にふらっと行ってきました~2018年5月15日~

京都市北区・上賀茂神社と左京区・下鴨神社で行われた葵祭に行ってきました。

祇園祭・時代祭と並び、京都三大祭のうちの一つに数えられる【葵祭】は毎年5月15日に行われます。

正式名称は賀茂祭[カモサイ]ですが一般人でこの祭を賀茂祭と言う人はいません。

欽明天皇朝(聖徳太子の祖父)の567年に始まった長い歴史があります。

応仁の乱(1467年~1477年)~1693年、1871年~1883年、1943年~1952年、たびたび中断や行列の中止はありましたが、なんやかんやで今に至ります。

 

上賀茂神社こと賀茂別雷神社[カモワケイカヅチジンジャ]と下鴨神社こと賀茂御祖神社がメイン会場。

元は、国家の安定を願って、天皇が勅使に御祭文と御幣物を授け(宮中の儀)、勅使は上賀茂神社・下鴨神社で読み上げ・奉納(社頭の儀)、平安装束に身を包んだ行列が練り歩く(路頭の儀)といったものです。

噛み砕くと、天皇が使いにお供え物と手紙を預け、神社に持って行って納めて、練り歩く、といことです。

現在は宮中の儀は行われていません。

【伝統装束を身に纏った500人と牛馬やらが御所から出発し、下鴨神社を経由して上賀茂神社へ練り歩き、両神社で神事をする】といった感じです。

本来は納める【社頭の儀】がメインなのですが、庶民にはあまり縁のないモノです。

そのため、一般的に葵祭と言えば上記の【路頭の儀(行列)】のことを指します。

 

15日の本番よりも、5月1日・5日に行われる【賀茂競馬】や5月3日の【流鏑馬】等の前儀の方が盛り上がります。

 

祇園祭が【庶民の祭】、葵祭は【貴族の祭】と言われています。

祇園祭が褌で『ホイットホイット!』、葵祭は燕尾服で静かに着席、てなイメージです。

葵祭は和服(観光客が来てるようなやつでは決してない)やモーニング等の、正装(和服や)で観覧する方も多数います(もちろん大半の人は普通の格好ですが)。

祇園祭が派手な御神輿や鉾の巡行等のわかりやすい見所があり、大量の屋台が出て騒がしく賑やか、と日本人が一般的にイメージする祭であるのに対して、葵祭は神事がメインの静かな祭です。

京都人からしたら葵祭は、【行列が近くに来たらちょっと見るかな~】くらいのものだと思います。

祇園祭は【参加者】、葵祭は【観覧者】という感じでしょうか。

5/15固定で2018年度のように平日開催の場合も多いので、観覧者は年齢層高め、もしくは外国人観光客です。

行列の時間帯とルートはおおまかに以下の通りです。

開始時間ギリギリの10:20頃に御所の堺町御門付近に到着。

御所の中と下鴨神社の参道(¥2700全席指定パンフ付き)、上賀茂神社境内(場所によって料金さまざま)には有料観覧席があります。

開始時間までうろちょろした結果、堺町御門すぐ横で空いてるエリアを発見。

3列目くらいのポジションで観覧していました。

画像ではかなり人が多そうに見えますが、御所は出発地点でメイン会場ではないので知れてます。

御所の中の観覧席等は以下の画像参照。

先立って警察官が出てきます。

この馬はかなり躾けられているようで、乱れず、見事でした。

ほどなくして行列が出発していきます。

10:45最初に出てくるのは主役の【勅使代[チョクシダイ]】です。

主役は【斎王代】と思われがちなのですが実は勅使代なのです。

勅使代・斎王代ともに勅使の代わり、斎王の代わりという意味です。

勅使とは天皇の使者、斎王(斎院とも)とは上賀茂神社・下鴨神社に奉仕した皇女のことです。

元は、勅使が天皇の代理人であるのに対し、斎王は祭の主催者という立ち位置です。

現代においては、勅使代に扮するのは先達て行われた賀茂競馬で、乗尻を務めた上賀茂神社の神職の一族。

斎王代の方は行ってしまえばただの金持ちの御嬢様ですからね。

斎王代はその話題性ゆえにクローズアップされがちなので現代ではもはや実質的には主役と言えるかもしれません。

斎王代については本稿の最後でまた触れることにします。

特に解説放送等もなく、少しずつ長く続くので良く言うと優雅ですが、見ごたえはあまりありません。特に歓声が上がったりすることもないです。

先頭から最後尾まで1kmほど、通過には1時間ほどです。

お年寄りが買い物に行くときに引いてるカバンっぽいですが、牛や馬の糞を処理するモノです。

牛車はけっこうギリギリです。

馬と比べて牛の『肉』感がすごいです。

結構スペースはあります。

女性陣の出発です。

斎王代です。

近所の人は建物の中から観覧です。

かっちょいい鐘。

11:15市の公用車が通って以上です。

救急車が来たのですが、誰が倒れたかと思ったら平安装束を身に纏ったおっちゃんでした。

この日は30.4℃と猛烈な暑さだったので暑苦しい平安装束は堪えたでしょう。

 

行列と違うルートで下鴨神社目指して徒歩で移動。

下鴨神社周辺はもう人が溢れていて行列はほとんど見えません。

こういう混雑では危ないので日傘は畳むのがマナーだと思うのですがワタクシの感覚がずれているのでしょうか…。

とにかく人が多くて見にくいです。

スペースが狭いので近づくのも厳しいですね。

諦めて鴨川沿いを北上、上賀茂神社へ移動します。

徒歩だとかなりの距離がありますが、何人か歩いている人はいました。

とにかく日差しが強くて暑いので鴨川沿いでは上裸で日焼けを目指す人も結構います。

到着。

下鴨神社から上賀茂神社まで徒歩で行くと50分くらいかかりました。

そのまま一の鳥居を東へ行き大田神社へ。

地元の祭がやっていました。

葵祭当日の大田神社の記事はコチラ

人はまあまあいましたが、皆さん口を揃えて「終わりかけやな~今年は早かったもんなぁ」と仰っていました。

 

流石に疲れたのでここで小休憩。

といっても近くにコンビニ等が無いので、上賀茂神社に戻り、少し北上しローソンへ。

コーヒーとパンを買って鴨川沿いで休憩。

のどかで良いです。

15:00くらいに上賀茂神社に戻りまして、芝生の日陰でのんびり。

屋台が出ています。

ぼーっとしてて気づいたら行列が来ていました。

上賀茂神社内は競馬の時とは逆で、参道を行列が通り、その脇が観覧席、さらにその外側(賀茂競馬では馬場だった位置)が無銭エリアです。

遠いし行列が通る参道は低くなっているのであまり見えません。

二の鳥居内で神事が執り行われます。

これがまた長い…。

中の状況は外の人にはほとんど見えないので神職による解説放送を聞くのみです。

17時過ぎ、長かった神事が終わるとアルバイトの方々は大型バスで帰って行きます。

そこから更に準備があり、17:40頃に走馬の儀が始まります。

これが締めです。

一の鳥居側から二の鳥居側へ走ります。

賀茂競馬と違い砂利の参道を走るのと鳥居の前で曲がらないといけないので全力疾走はしません。

2頭が走ったら神職のお偉いさんが帰ります。

残り4頭が駆けたら祭は終わりとなります。

バス停はこの有様なので諦めて歩いて帰ることを決意。

下鴨神社まで45分、祇園までそこから1時間ほどかかりました。

1日の総歩行距離を測ったらちょうど20kmほど、さすがに疲れました。

 

初めて葵祭を各会場で見て回りましたが、来年からは、いつも通り近くにいたら行列を少し見に行くくらいのスタンスに戻ります。

感じ方は人それぞれではありますが、長い歴史と独特の作法、儀式、平安装束を身に纏った行列の優雅な佇まいは京都の伝統を感じられる趣ある祭であることは確かです。

歴史や伝統に興味がある方、余裕がある方は解説付きの有料席もあります。

 

【豆情報】

先日知人と近所の【メリメロ(記事はコチラ)】で一緒にフレンチを頂いたのですが、その時ちょうど、同級生に斎王代をやった人がいて云々という話を聞いていたのです。

某御嬢様女子高の同級生だったそうですが、西尾八ッ橋社長の娘さんでかなりのお金持ちだったそうで、斎王代の費用なんてぽいっと出せるでしょうねと。

その【斎王代の費用】とは、その知人いわく1500万円で、庶民なワタクシ達は「1500万自由に使えたらまずは車が~海外旅行が~家が~」とか考えてしまいますが大概思いつくもの全て余裕で出来るくらいの財力はあるらしいです。

ちなみに費用の内訳は衣装の十二単や行列の費用、奉納料等諸々です。

そんな話をしていたのですが、今年、第63代斎王代はなんとその西尾八ッ橋の社長の娘さんの娘さんだそうです。

母娘(お母様は33代)で斎王代ってすごいな、と思うかもしれませんが、6例目ということで珍しい事でもありません。

京都在住もしくは出身、20代未婚、お金持ち、という項目全てをクリアした上で大勢の人の前に出られる、俗にいう出たがりな人という条件で、そういう限られた人の中から決まるので当然かもしれません。

櫛等の装飾品は親子二代で使うモノもあり、伝統が感じられますね。

ちなみに、斎王代の着付け等を担当する化粧方南登美子さんは有名な方です。

有職美容師[ユウソクビヨウシ]、いわゆる髪結い屋さんの第一人者で祇園界隈では、知らない人はいないでしょう。

南さんについてはまた別の記事で取り上げたいと思います。




 

 

 




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