京都市北区にございます、上賀茂神社にて行われた賀茂競馬足汰式を観覧して来ました。
賀茂競馬足汰式と書いて[カモクラベウマアシゾロエシキ]と読みます。
平安時代の1093年からというとんでもなく長い歴史を持ち、今年はなんと第925回!
徒然草にも記載があり、俳句においては季語です。
もともとは五穀豊穣や天下泰平を願って欽明天皇朝(540~572年)に始まり、宮中武徳殿で行われていたのを、堀河天皇の勅願で上賀茂神社に移したのが起源とのこと。
毎年、5月1日に足汰式が行われ、5月5日に賀茂競馬会神事が行われます。
いわば賀茂競馬の前哨戦的なものでしょうか。
境内を大まかに説明しますと、
赤マーカーを馬が走り、紫マーカーが¥500有料観覧エリア、グレーは招待された小学生、黄色が宮司などの審判がいる外幣殿、ピンクマーカーが馬の待機場所、水色マーカーがならの小川となっています。
有料エリアはベンチがあり、座って観覧できますが、青マーカーエリアから立ち見で観覧する人も多いです。
見晴らしが良いので無銭エリアからでも疾走する馬の迫力を存分に楽しめます。
馬が実際に走り始める13:30ころにふらっと来ても良い感じで見られます。
ちなみに馬が走るエリアの西側はアナウンス席と来賓席?になっており、後ろに幕がありますので駐車場側から観覧することはできません。
2017年度から近隣の上賀茂・紫竹・柊野小学校の250人ほどを無料招待しているそうです。
式はまず12:30に神事から始まります。
流れで場所が移動するのですが、基本的に案内役的なおっちゃんが多数いますのでそれに従えば良い感じで楽しめます。
もちろん注意事項等も指示されますので従いつつ、質問もできます。
人が少なめなので良い場所で見ようとがっちり場所取りしておく必要はありませんでした。
境内東側の北神饌所(庁屋)にて祝詞奏上など奉告をします。
続いて足洗いの儀。
境内を流れるならの小川で乗尻の足袋や鞭、袴を清めます。
乗尻とは騎手(ジョッキー)のことです。
由来は不明ですが平安時代からそう呼ばれていたとのこと。
そして馬も清めます。
昭和中期までは馬も小川に入って清めていたそうですが、現代の馬は怖がって入らないので水を脚と口にかけるだけです。
その後、外幣殿で毛付けの儀を行います。
競馬の審判役となる宮司たちに歯や毛並みを見せて馬の状態をチェックします。
ここまでで一時間ほどで神事は終わりです。
かなり暑かったのもあるのか、馬も少し暴れ気味でした。
そしてようやくメインの馬の疾走が始まりますが、まずは素駆(すがけ)です。
一頭ずつ走らせ、乗尻の技量や速さを見ます。
乗尻と馬の組み合わせはくじで4月下旬に決めてあります。
馬場を九回曲がりながらゆっくりと歩く、九折南下というものをしてから走ります。
新人の乗尻は駆け抜けるだけですが、技量が上がるに連れて、独特の声を上げ、外幣殿に向けて鞭を指しながら走り抜けます。
素人目にも結構技量の違いが見て取れるので面白いです。
一通り走り終わったら外幣殿に戻り、馬の走る順番や組み合わせを決める番立(ばんだて)が行われる。
続いて、5日の本番と同じく2頭で走る競駆が行われます。
1
2
3
4
一緒に走る組を番(つがい)と言う。
最初に走る美作国倭文庄と加賀国金津庄は三遅、巴、小振と呼ばれる、乗尻が馬の性質を知り、馬を馬場に慣れさせる独特の歩き方で行ったり来たりしてから走ります。
馬場の確認や儀礼的なものは、昔は全番が全て行っていたのですが、現代では最初の番が全て行った後は他の番は簡略化されています。
現在は6番12騎ですが、昔は10番20騎もいたこともあり、最後の方は日が暮れて松明を焚いて行っていたそうです。
ちなみに足汰式では順位は決めません。
上々から下々までで評価します。
古式競馬では現代の西洋式の競馬と違いパドックがないので、スタートは適当です(上記の競駆4動画参照)。
乗尻同士の顔があったら「合うた!(おうた)」の掛け声とともに走り出す(冠合わせという)のですが、実際はニュルっと始まります。
競駆が終わったらまた外幣殿に戻り、下馬して足汰式は大体終了です。
以下、豆情報。
馬場と観覧席等を隔てる柵は埒と呼ばれ[埒が開かない]や[不埒な]の由来となったとのこと。
神殿から見て右の組が右方(うかた)同じく左が左方(さかた)と呼ばれます。
乗尻は代々、上賀茂神社の神職の一族の人たちが担っています。
この点、下鴨神社の流鏑馬とは違いますね。
普段は会社員や学生。小学生から鍛錬を積み、身長等を考慮し中1くらいでデビューだそうです。
今回は、最年少は中学生(昨年に小6でデビュー)で、~大学生くらいまでの若手が6.7人ほどでしょうか、残りはベテランです。
倭文庄は2011年に中3でデビューした現在大学生の若手とのことでした。
競駆の際に、「高校生と大学生の従兄弟の対決です」などとアナウンスされていました。
乗尻が身に付ける烏帽子や奴袴の装束は足汰式専用のもので、本番では舞楽装束になります。
これは、昔は5/5の本番で、勝者が天皇に舞を披露していたためだそうです。
馬は中央競馬で活躍したサラブレッド等を借りてきているそうです。
かつては荘園から送られてきた調教されていない馬で行っていたため、乗尻には高度な馬術と調教が伝えられ賀茂悪馬流といわれたそうです。
美作国倭文庄だけ豪華な馬装で、江戸時代からのものを使用しているとのこと。
鞍は伝統の和鞍(木製で漆塗り)を使います。
競馬が上賀茂神社で行われるようになった際に、20頭の馬料として荘園が20か所寄進されたそうで、各馬の名前はこの荘園から付けられています。
この20か所を競馬料と言い、競馬会神事の費用捻出のために選定された社領地だそうです。
馬・競馬料の序列と名称、現在のおおよその位置は以下の通り。
- 美作国倭文庄 岡山県津山市
- 加賀国金津庄 石川県かほく市
- 播磨国安志庄 兵庫県姫路市
- 能登国土田庄 石川県羽咋郡志賀町
- 阿波国福田庄 徳島県三好郡東みよし町
- 美濃国脛長庄 岐阜県揖斐郡揖斐川町
- 近江国舟木庄 滋賀県近江八幡市
- 若狭国宮川庄 福井県小浜市
- 淡路国淡路庄 兵庫県淡路島(淡路市もしくは洲本市)
- 出雲国出雲庄 島根県(出雲市もしくは雲南市)
- 備前国竹原庄 広島県竹原市
- 備前国山田庄 岡山県瀬戸内市邑久町
- 山城国奈島庄 京都府城陽市
- 丹波国由良庄 兵庫県丹波市氷上町
- 和泉国深日庄 大阪府泉南郡岬町
- 周防国伊保庄 山口県柳井市
- 伊予国菊萬庄 愛媛県今治市菊間町
- 尾張国玉井庄 愛知県一宮市木曽川町
- 伯耆国星川庄 鳥取県西伯郡南部町
- 三河国小野田庄 愛知県豊橋市
参加する騎の数が20頭未満でも最後は三河国小野田庄になります。
美作国倭文庄(ミマサカノクニシドリノショウ)と二番目の加賀国金津庄(カガノクニカナヅノショウ)が最初に走るのは決まっていて、左方の倭文庄が勝つのも決まっています。
左方が勝つとその年は豊作になると言われており、そのためです。
また、昔は、倭文庄は京都所司代から贈られた馬であるから贔屓したという側面もあるとのこと。
倭文庄は少し先に走り出し、体を180°回転させて真後ろに向けて金津庄を挑発するように埒から顔を出す、遅れて走り出した金津庄はそれに応えるように真っ直ぐ前に向けて鞭を指して駆け抜ける一連の流れが定番となっています。
倭文庄と金津庄は共に上々の評価が付くことも決まっています。
2番目の番からは真剣勝負となり、前の勝負で勝った方が少し前からスタートし、負けた方は少し後ろからスタートします。
つまり、最初の番は美作国倭文庄が勝つので2番目は左方からスタートです。
基本的に1馬身差からスタートし、勝負の楓地点でその差が縮まっているかどうかで勝敗が決着します。
昔は妨害行為はOKで落馬した方が負けでした。
競馬の目印となる場所には木が植えられており、代々同じ場所で植え替えられているとのこと。
馬出しの桜(スタート地点)
むち打ちの桜
見返りの桐
勝負の楓(ゴール地点)
馬場の長さはおよそ250mで、これは平安貴族の邸宅の庭の平均的な長さだそうです。
5月5日に行われる賀茂競馬本番は人がかなり多く観覧もしにくいのですが、足汰式は割と人が少ないのでのんびりと見れます。
馬が怖がるため日傘の使用とフラッシュを焚いての撮影は禁止です。
今年はかなり暑かったので飲み物と帽子は必須でした。
冒頭にも書いたのですが、無銭エリアでも十分楽しめます。
正直言ってめちゃくちゃ速くて圧倒されます。
掲載した画像や動画では2割も伝わってないと思います。
足汰式は賀茂競馬本番や、下賀茂神社の流鏑馬と比べて、平日なのもあり人が少ないので気楽ですし何より見やすいです。
無料で快適に走り抜ける馬の迫力を楽しめ、総合的に非常に満足度が高い行事でした。
穴場的行事でオススメです。
↓関連
wikipedia–競馬会神事–
wikipedia-古式競馬–
– 賀茂県主同族会公式HP-(乗尻の一族)
“上賀茂神社・賀茂競馬足汰式~2018年5月1日~” への3件の返信